ことしもあともう少しです。

僕にとっては、闇を抜けてきたような、無常なのか冷酷に全速で走り、

力がぐったり安堵感と、乗り越えた達成感。

同じぐらい、悶々とした苦しいことや、

心に正直になったことへの余計な重さも受け止めております。

 

とにかく、ゆっくりペースダウンと、

たくさんの人にお会いすること。

昔の自分と比べるためにも、かつて歩いた思い出の場所にいき、思い出す。

新幹線で博多、大阪、名古屋、金沢の順で考えて、ぼーっと歩いてみました。

大阪以外は1時間でしたが。

僕は、いま「なんとなく力」を考えています。

 

でも、考えても、本を読んでも学んでも、体感しないとわからないこと。

ユングの40歳を人生正午として、自分を問い詰めていた気もします。

なるほど、正午をすぎて、やっと午後に差し掛かったのでしょうかね。

40代を超えて、「なんとなく力」

 

たとえば、最近は、

想いや察すること、受け取った気持ちを、良いこと、悪いこと、”なんとなく”。

まとまらないうちに、みんなに話すように、かなり心がけました。

早速、みんなの想いであったり、気持ちの会話ができてきたような気もします。

コーチングなんて、上等なものでもないですし、

最初、僕は、会社の中で「社内のコミュニケーションの活性化のために」

と上からだったと思いますが、

みんなから、思うコトをすくい上げることができて、

気持ちを口に出す習慣。

逆にたくさんのことを教えてもらいました。

 

でも、一方で、周囲との人々の距離感が遠くなり、警戒されているような感じもします。

それは嫌なんですけれども、本当は察してしまうから仕方ないし、

最近演技もできない。

もういいや、なんとなくクリスタルだ。

 

 

僕は、何か、夢中になることで人を意識しないような、読み取らないような、固体と見る

自己防御だった気もしますし、仕事をしていないと

生活のコミュニケーションの深読みや察したり、わかっているのにわかってないような

演技なのか、観察モードなのか本当に面倒でした。

そして、コトが起きると、

そこまで気づいているのに、なぜ気づかないふりをするのかともなっていた。

理由はないけれども、場の空気でなんとなくわかってしまっていた。

理由がないから言わない。感情に鈍感になる。

読んでいるコトを読まれると、周囲が驚くかもしれない。

でも、言わないと、わからんぇーじゃないか。

そこで、なんとなく言おう。

ストライクを投げずに、カーブを投げて、気づくまでストライクゾーンに近づけていく。

気づいてもらったら、それ以上の直球は投げない。

これまで、ストライクを投げるから、トラブルが続いた。

なるほど。

 

僕は、喧嘩っ早くて、どこでもいつでもキレていた。

だから、周囲にとっていい人にとりあえずしておく。

考えるコトで、心を沈める。

問題はここだ。

周囲が察するコトと、自分が乖離、自分も自分の本当を閉じている。

”なんとなく”靄がとれた気もしますし

靄の中にいると、靄が当たり前の日常ですから不思議な感じです。

 

心や気持ちについて、幸い仕事なのか立場もあって

一番自分をケアしてきたのかもしれないし、

応援をしてくださる方、沖縄の友人

いつも行く飲み屋さん、仕事を超えた友人、大切な人のおかげで、

なんとか、気持ちの発散ができておりました。

苦しいコト、大変なコト、気づきを与えてしまったコト

申し訳ない事もたくさん。

年末、仕事が終わって、いろいろ回想すれば、本当に恵まれていたと思います。

 

いつも声をかけてくださる、皆さんに、お礼を伝えたく

この経験を、偏った凸凹の受け取っていたことも含めて

”なんとなく”伝えること。

”午後を過ぎた”自分のテーマだと考えています。

 

そして、伝えたいこと。

”なんとなく”ですが、最近、

ネットによって、年齢も、経験も、生活も、立場も、価値観が異なる人々が

それぞれの正義や理念を、言語で伝え合う

当たり前のことに疑問を感じていて、

・真実や正義で発信、受け取らないといけないこと、ユートピアニズム

・調和や想いが強く、その場の想いを大切にすること

かつての自分を回想しながら、

2つのイデオロギーのような対立が起きている気もします。

メールでも、メッセージでも、本当に伝わること

言語、ロジックで伝えられるのであろうか。

 

 

毎日生活する場所、仲間、空間、食事

お付き合いする人々、美意識、ファッション、音楽、経験がことなる。

 

いろいろなことをつみ重ねていて、許せること、間をとるのか、全くわからないのか。

なんとなく見て、なんとなく感じて。

なんとなく相性が良い繋がりか。許せないのか。

なんとなく、僕の自己ツッコミを考えて。

想いを言葉で伝えるつぎは、なんとなく、行動する。

 

自分の行動を見て、嫌とか、良いとか。むかつくとか

みて、受け取ってもらうこと。答えはない。

もう、こうなったら、だらだら話す。なんとなく受け取ってもらう。

言葉で伝えすぎない。

 

また、最近、

いろいろな方から、ブログを読んでいただいて、ご連絡をいただくようになりました。

けれども、僕は、その方のことを知らないし

あったこともない、お返事をしたいけれども、

その方にとって、正しい答えかわからない。

その方の背景や環境を知って、文章を丁寧に理解をするには、自分がどのくらい時間を要するのか

わからない。そんな時間もない。

なんとも言えないけれども、受け取りました。

でも、相手がシリアスならば、失礼かもしれません。

距離が近い人ならば、大好き!とかふざけるな!かもしれませんし。

 

本当なことが、重要ではないけれども、軽薄に聞こえるかもしれませんが

過去から今の自分を知る方には、”なんとなく”を伝えたい。

 

”なんとなく”で、ふざけるなと、

僕をブッ◯すと思う人は、油に火を注ぐであろう。

僕に困っていた人は、なんとなくぐらいで、落ち着いて良かったという方も

”なんとなく”ごめんなさい。

 

 

僕も「なんとなく」で感情を抑えて、静かに

リーダーとして、「なんとなく」で周囲を責任持って

僕の周りの方を支えていきたいと考えています。

 

来年は、”なんとなく”ということをテーマにしています。

なんとなく、よろしくお願いします。(笑