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このブログへの検索ワードですが、

「発達障害」「アスペルガー」「ADHD」が多い。

 

「この話題に触れることが少なくなった」のは、

 

発達障害者は、10人に1人とも言われる。

診断を受ける前の人、そうなのかもしれないと思う人への

自分の中途半端な配慮です。

 

発達障害でも、アーティストになれた、

とか、何か成功した人とか、

ハンディキャップそのものを、

自分の執筆ネタとして書く人がいて、最近の勝間さんとかそうだけれども

そういった記事を読んでいると、

仕事でも、自分の個性をラベル化できる人は良いけれども

 

一般の多くの人は、多数派の世界で

”それ”ができないから、悩むのだ。

ということを、自分は知っているからです。

 

人生でこれほど夢中になったことは、

音楽の次ぐらい

と思うほど、心理学の指導、発達障害については、

2ヶ月に1回

5日ほど沖縄に4年間通いまして、当事者である後藤健治先生から。

横浜では、臨床心理士の先生に、自分を自分で気づくことを

教えていただいています。

 

自分はこれでよいのだ、ということと。

ここは、認知がゆがんでいる、ということ。

ここは、その場の空気では間違っているけれども、空気に乗らないこと。

経験で当人は取り繕っても、努力しても一目瞭然であるが、なんとかなっていると思いがちである。

がよくわかりました。

 

あえて不適合突入させて、悪化させました。

かつて自分の問題は「アスペルガー症候群」とされていました。

「南雲さんはアスペアスペ」と言われて、

一般の病院でそのような診断がおりたのは、10年以上前でした。

 

ブームの先駆けでしたので、雑誌やテレビの取材も多かったのですが、

番組の編集スタッフに「あなたは嘘をついている」と飲み屋で(笑)絡まれました。

少々、根に持っていますが(笑

多分、アスペルガーの人から見ると、表面上はうまく適応しているように見えます。

現在では、ADHDが正式な診断です。

 

自分は、周囲に合わせることが社会人以降の習慣になっていて

敵を作らず、うまい具合にボケながら

実は、ADHDのAC(アダルトチルドレン型)と言って、

合わせすぎる問題がありました。

過剰適応です。

 

最近の自分を知る人は、(暴君ぷりに)想像できないかもしれませんが

 

ACで過剰適応しすぎている自分に対して、

後藤先生は、

ADHDのAC型でも、お釈迦様の手の上の孫悟空みたいなもので

一度、本来のADHDの暴君型に戻さないと、組織が危ない。

として、ADHDとなりました。

 

多くの人は、これは「よくない」「悪くなる」ことがわかっていても

今いる環境や仲間の連続性で、変わらない=同調性バイアスになるのだ。

と理解しました。

 

車も、スマホも、洋服もいろいろなものを無くし、不注意が増えました。

本意を口に出して伝えたり、キレる。落ち着かない。

周囲を敵にすることも多くなりました。

 

大人になってADHDを体感した。

結果として、AC時期のADHD共依存(同じような人)の知人をほとんど失いました。

自分の知らない他者に、私のことを「あの人はADHDである」と

伝えてしまう親しい人も、失いました。

人としての尊厳や、その障害を持つ自分を受け入れたからです。

 

後悔はしておりません。

自分は、ADHDを体感したことにより、

不注意な発言も、本当のことを伝えすぎてしまうことも、

問題を客観的に理解できました。

 

自分は

・この特性を表面上は見せずに、思考は多動で、ある場面では多数派になりきること

・ADHDの特性が生かされる職場環境があったこと

が理解できました。

 

だから伝えたい

努力をすれば、正々堂々と合理的に社会に向き合えるADHD

になれると信じています。

 

それは、後藤健治先生の言われる、多数派の空気に支配されずに

理路整然と、公平公正であること、流されないことが、

社会の一員として信頼され、受け入れられる。

 

ADHDの問題だけではなく、良いところのプラス面を

小さな生活のなかから、言葉で伝えていくこと、

その自信を持つことだと考えています。

常に、本当、本意でいること、反省をすること、自分を突っ込んでいること、正直であること

複雑であること、揺れ動くこと、悩むこと。

 

もし、特性について、著名人、それなりの経歴をお持ちの人が

前向き(開き直って)に私もそうだったと伝えていて

違和や不快感を覚えたら

 

この内容を考えてみてください。

二次障害や社会への不適応、自分がどこか異なっているかもしれない

という方に、いつか役に立ったらという思いと

自分が指南をしても、考えるのはあなた。

他者に依存はしないでください、ということが本意です。

 

その空気に支配されずにいても、長い年月を経て信頼となることを

自分は、仲間にきついことを言っても、それは理解されるであろうことを信じています。