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先日とある取材をしていただきました。

インタビュアーの方によって

逆に、気づきや思いが、よくわかったことがありました。

本当にありがとうございます。

質問を受けると、自分が整理されますね。

人生の計画

自分は

とりとめもなく、

理屈や理論にのらない悶々とした中で

私たちを取り巻く環境や未来は

「物語がない」「物語の終焉」と口からでてきました。

老後の貯蓄はいくら必要か、

もし病気になったら、介護になったら。

人生設計ができる心の余裕こそ、幸せかもしれない。

自分も考え込みました。

自分の人生を想像できない時代

リオタールの「ポストモダンの条件」

「大きな物語の終焉」

を読んだことを思い出しました。

昭和の時代にあった、

大人になったら、この仕事を持ち、会社に就職して

結婚をして、子供がいて、介護をして。

サザエさんの磯野家のような

こうあるべき、同調圧力があった。でも幸せかもしれない。

現代においては、選ぶべき選択肢も多いし

個性や能力を、その人個人が主体的に選べる自由な時代。

一方で、

直近の今あることや、ソーシャルのあるべき論や、

課金・消費することの短期欲求を満たすこと、

データベース消費

今あるたくさんの情報を選択をして

目先に最適化する。

バッファが溢れる。

小さな物語

だれもが将来を予測できないから心配で

日々の情報の取捨選択を知的好奇心との言い換えで

チャレンジも心理的に抑制され

目先の「小さな物語」でバッファが一杯なっているとも言えて、

10年後、20年後のイメージがつかない。

将来に対する不安感の原因ではないか、とも思った。

自問自答したこと

小さなところで、日々思考し、疲弊をしているけれども

大きな物語、なのか、先のことを考え、

考えすぎている自分もあり

それでも正当化できることと考えました。

自分は、その場の空気を読みながら、別の次元で考えることが多く

頭が混乱することがあります。

「システムによる全体化」「コンセンサスによる同一化」

その場では、最適化して正しい答えであるが、長期的に衝動の統制が取れないのではないか。

決定が遅れることが多い。

すると、グルグル思考が周り、多面的に考えて

結論を決められないことがある。

短期的には最適解であるが

長い目で、会社で、人生で考えると、果たして良いのだろうか。

この間違った空気に乗るべきか、本質を進めるべきか。

大きな物語の再定義多動的な思考の飛躍をある程度まとめるためには、

自分とは何者であるか。自分は何をすれば良いのか。

自分の定義を明確にすることと考えました。

長くなるので、次のブログにと思います。